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他生物のE.S.P.転用可能性。私は、その選択肢を完全に失念していた。
E.S.P.黎明期の著名な研究論文『生物の進化過程におけるディアスタシオン制御能力の普遍性』によれば、E.S.P.とはいわば脳の旧皮質・古皮質に発生する、生物が元来備えている基本機能ということになる。
ただし、その力は無条件の発現を保証できるほど安定した能力ではない。
d-holeを介して意識の一部を上位次元へと飛ばすことは肝心の3次元空間での活動能力を低下させることにも繋がり、それは捕食される危険をいたずらに増す。
また、一瞬でも生命活動の維持に必要なレベルを下回ってしまえば、それだけで魂の破裂を迎えてしまうだろう。
そのため、全ての生物は新皮質――すなわち自我もしくは理性においてE.S.P.能力の発動にブレーキをかけており、有機物による生体システムの代理機能として、そのごく一部を働かせるのみに留めていた。
だが、ここで発想を逆転させてみよう。
必要以上に理性を発達させすぎた種族――すなわち私たち人間は、E.S.P.進化の系統図においては、むしろ下位に当たるということはないのだろうか?
……果たして、私のこの読みは的中した。
E.S.P.論のどこを読んでも、ホモサピエンスの脳構造や意識活動に対する固有性などは見受けられない。
それなのに私を含めた大半の研究者は、E.S.P.が我々に固有の能力であると頭から信じ込んでいたのである。
思えば、初期E.S.P.論の基盤を確立させたエンドウ教授がE.S.P.能力を「本能活動を取り込んだ第2の理性」などと言い換えてしまったことも、この紛らわしい誤解を生んだ遠因のひとつとして挙げられるのだろう。
いかにこの分野が未知と偏見に閉ざされているかを、よく象徴するエピソードであった。
ともあれ私は、すぐに脳生化学方面の研究室へと連絡を取った。
苦し紛れの無駄遣いと非難されながらも、地球から取り寄せたチンパンジーの小脳におけるd-hole活性状態のエコー観測実験を押し通し、――そして実験は成功。この仮説の正しさを証明する。
それと並行して、あの機体に乗せるべき優秀なパイロットを、私たちはそれこそU.G.領星系の全体から探し求めた。
都合のいいことに、多くの生物は危機察知能力にこそ優れていた。
というよりも、人間の方が退化し過ぎたと言うべきなのだろうか。
常時、無意識野での活動を続けることを苦としない耐久性。d-holeを通じて上位次元から3次元宇宙を俯瞰する超次元認識力に、その結果として見える障害物を取捨選択するための情報処理力。
それは正に、私たちが望んでいた通りのE.S.P.能力に他ならなかった。
……もちろん、理論自体の確立はできても、実用化までの道のりは困難を極めた。
人間以外の動物を軍事目的に転用する試みそのものは、ニューコム社から以前より提案されていた。
だが、それはあくまで「人ができる仕事」の代役としての研究に過ぎない。
今回のような「人が、人以外の存在に命綱を託さざるを得ない」というケースについては、これまでにはまるで前例がなかったのである。
また、人道的見地による民衆からの抵抗運動の影響もあり、最終的にそれらの障害は、私たちの研究がU.G.S.F.の支援対象から外される結果として表面化する。
私はこの研究の有用性を必死に訴え、研究室ごとニューコム社に買収されるという形で、辛うじて計画の頓挫という最悪の未来を回避した。
だが皮肉にも、そうした付随的な問題を除いては、研究は驚くほど順調に進んでいった。
生物学的な違いによる、E.S.P.アクセプタとの相性問題。
超次元視野の拡張余地、教練後に期待できる平均的なM.P.ランク、人間の軍事行動への道義的理解。
更には、タスク・オペレーション履行行程統合管理システム――T.O.P.I.C.S.との連動情報処理技能まで。
研究を進めるに伴って必ず立ちふさがる問題が、ひとつずつ、まるで簡単なミステリー小説を読み流すように解決していく。
その過程は、見ていて爽快ですらあった。
“彼ら”は本当に優秀だった。
そう。
宇宙を泳ぐための本能は、確かに実在していたのである。
そして、数年後に行われた艦載航宙機コンペティション――。
私たちの手がけた機体は発案当初に提示したパフォーマンスを遥かに上回る形で実現され、結果、圧倒的な支持率によって勝利を収める。
一度でも認められてしまえば、今度はそれを押し上げる力が勢いとなる。
私は天才ともてはやされることに違和感を覚えながらも、駆け抜けるようにして研究者人生を全うしていった。
――――そして。
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